昨晩の更新後も同様に急にアクセスが集まるという現象が起きた。やはりなんかのアプリかなんかからの流入が突然増えたと思われるのでそれっぽい記事を書いてみる。
「釣れねえ!」
そんなとき、あなたは何が悪いと思いますか?という話。
自責思考、他責思考というライフハックがあるんだけど
ちょっと釣りから離れた話をするが、割とマジで大事なことなんで読んで欲しい。ちゃんと釣りの話に着地させるから。
仕事や人間関係を良くして自己成長をしていくには他責思考を止めて自責思考で行くといいよ、というのを私が尊敬する超早口なユーチューバー大先生が言っている。実際、仕事で出会う人と話をしていて、
「上司が駄目だから俺は冷や飯食わされている」
「少子化だから商売がうまく行かない」
「安倍が悪い」
といったことを聞く時がある。実際そのとおりの因果関係があるのかもしれないが、うまくいかないのに対策を打たなければ、そりゃ状況は好転するわけ無いだろ、と思うのである。私は自分自身もこういう考え方で結論づけるのをやめて、できればこういう人と仕事せずにすむように立ち回るようにしてから数年、明らかに仕事のストレスが減った。
以前は私も結局他責が強かったということだ。自分が不遇なのは何かが悪い、と。恥ずかしながら。

でも、実際に原因は自分以外にあることだってあるじゃんという話に対しては
あるよ。実際上司がクソだったり客がクソだったり政治がクソだったりすることはある。間違いなくある。でも、他責でとどまってしまう考え方をしているとそこで自分にフォーカスが向かないのである。
他責はしばしば、アンコントローラブルな領域のものに対して向けられる。安倍が悪いと言っても、総理大臣を直接任命できる権限は我々にはない。せいぜい衆議院選挙で間接的に意思表示をするくらいしかできない。でもそれは数百万人の投票が一致して初めて効力を発揮するので自分ひとりの影響力はとても低い。しかしだからといって選挙に行っても意味がない、と考えて仕事で努力しないのは大人としてどうなんだ、という話であるが、これと同じだ。何を支持するのであれ、個人の仕事がうまくいくためには自分でできることをやるしかない。
あるいは、もっとも無難で誰も傷つかない他責は「運が悪い」だろう。
自分でコントロールできないものごとによって自分の目的を封じられたとき、人間は「仕方ない」と思うものである。そこまでは自責思考の人間も同じだが、この先が違う。
自分でコントロールできない物事と、自分の行動次第で変えられるものを切り離して考えることができるのである。
自責といっても自分を責めたりくよくよすることじゃないよ
では、自分でコントロールできるものについて考えを至らせることができる人はどうするか。そろそろ釣りに例えてみよう。ちょうど直近の釣りが厳しかったのでそれを例にする。

「今日は酸欠でヘラが浮いてて釣れなかった」
これは事実である。実際、先月より池全体の釣果は低迷した。魚は間違いなくそこにたくさんいるんだけど、決して簡単ではなかった。釣り人がヘラの酸欠を解決してやることはできないアンコントローラブル領域である。仕方ない。
しかし、ヘラブナ釣りでは同じ場所で並んで釣っているため、その状況でも釣れる人と釣れない人の差が出る。その差は結局何かというと、腕である。一日を通して1枚とかなら運の要素もあるかもしれないが、トータルうん十枚とか釣れる状況なら明らかに熟練者が勝つ。そのときに合った釣り方を見つけ出すラッキーヒットがまれにあっても、3日も追試すればやはり実力の差は明らかに出るものだ。これがヘラブナ釣りの熱いところなんだが、これはまた別の機会に書く。
で、その腕ってのはなにかというと、経験と対応力が一番ものをいうのだと言えるわけだが、じゃあその経験と対応力はどうやったら身につくのか、というところに考えを向けると、自責思考がないと成立しないということが言えるのではないかと私は考えている。
釣れないとき、よりたくさん釣りたいときの思考と行動の蓄積
釣れないという状況である。では自分はそれに対してどうアプローチするか?どういう行動をするか?これをグルグル試行錯誤していく(※これがいわゆるOODAループというやつだが、PDCAオワコン論者がネットで間違った記事やセミナーを広めているがPDCAとOODAは役立つシーンと言うか、サイクル自体の時間的スパンが違う。騙されないように!)。
やはり、こうした試行錯誤が濃い人は上達も早いし、よく釣れたときに何故釣れたかを自分なりに分析しているものだ。当然、釣れないときも釣れなかった理由をあれこれと推察し、対応策を考えている。猛烈に釣る人はその内容が濃いのである。
ヘラブナ釣りが上手い人は、どうやったら釣れるかを知っている。いわゆる引き出しが多い。釣れなくなりそうなタイミング、釣れそうなタイミングにきっちり釣り方を合わせていく。それは餌の付け方のほんの些細な違いだったりする。自分のさっきの一投における問題点を見つけては修正する、を繰り返している。暇そうに見えて超忙しいんですよ。
一方釣れないヘラ師は、緩慢と釣りをしている。いや、緩慢に釣りをすること自体は別に悪くない。所詮遊びだから。問題は、釣れないことを釣り場のせいにしたり、魚のせいにしたりして自分が対応しようとしないことにある。池が悪いから釣れなかったと事務所で延々とぼやいても魚は釣れるようにはならない。
これを他の釣りに置き換えるとどうだろうか。
ルアーが悪い、潮が悪い、天気が悪い、群れがいないのが悪い。。。
なんとでも言い訳できてしまうのである。そもそも潮が悪いとか天気が悪いとかは釣りに出かける前から予測できるものである。その状況ででかけたんだから、仕方ない。そのシチュエーションで釣れなかったのはそのシチュエーションに合った釣りをできなかったからだ。あるいは、釣れる確率の高い日に挑戦するしかない。
私も先日ひさしぶりにチヌのフカセ釣りをやったが全く駄目だった。産卵後の低活性は予測できたのでもともと諦めているが、ポイント選びやウキ下、撒き餌ワークが最適解だった自信はなく、自分のなにかが間違っていたからであって、実力不足だと感じている。なんせ、落とし込みの人には釣れていたのだから。
「自分はあのときどうすればよかったのか」を考える時間もまた、釣りだ
よく釣るためには、自分の釣り方を都度見直してブラッシュアップする必要がある。魚のせいにしてはいけない。去年だったか、有名なプロアングラーがTwitterで「釣れない日にあえて釣行する」とつぶやいたら「我々サラリーマンは釣りに行く日を選べない!キー!」と全く謎なリプがついていたのを見たことがあるが、これこそまさに他責思考である。知らんがな、で終わる話である。
話はそれるが、釣りに行く日を選べないのがそんなに苦痛なら、選べる環境に変えればいい。いや、パンがなければお菓子を、じゃなくて。そこで自分で行動するかしないかは自分が決めればいいだけのことなのだ。

釣りの話に戻すと、そもそもそのツイートは釣れない日に出かけることでいろいろな発見やそういうときなりの攻略法の開発をしようとしている「釣り師としての興味」であって、サラリーマンアングラーにマウントを取るつもりなんか毛頭なかったはずである。釣れないと予想される日にあえてでかけてみるというのはアングラーとして実に真摯な釣りへの向き合い方だと思う。
釣行回数を重ねていけば行くほど、釣れなかったときの諦めが早くなってしまうことがある。もちろん期待できないときは早々に見切ってしまい他にやるべきことをやったほうがいいだろうが、頭の中ではやはり「自分はあの状況でどうすれば釣れるのか」を振り返ったり、次回は状況を変えて取り組んでみたり、釣り方を変えてみたりと試行錯誤はしたい。

闇雲に釣行回数だけ増やすのではなく、一回一回を大事に、正しく努力していけばやがてつかめるものがあると思う。
例えば、私は一昨年くらいまでは狙ってチヌを釣ることができなかった。しかし、ひょんなことで知り合った人との交流でたくさんのヒントを貰い、あるいは自分で試行錯誤してそれぞれの釣り方である程度狙って釣れるようになった。熟練した方には物足りないかもしれないが、どうやってコツを掴んでいったか興味のある方は関連記事などをたどってみて欲しい。