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孤独を好むが孤独に悩む

「こいつ、頭いいからね」

褒められることは大変に光栄であるが、世の中には自分なんかカスに思うほどコミュ力が高くハイコンテクストな人はゴロゴロいるし、超絶に記憶力のいい人もゴロゴロいる。それはよく理解しているつもりである、というのは押さえていただくとして。

ところで、たいてい世間で言われる「頭がいい人」は「嫌な奴」であってほしいという願望をぶつけられるものである。漫画でも映画でもだいたい相場は決まっている。だから、あいつ頭いいから、の隠れたニュアンスには敏感である。私も一部の人から見たら偉そうで嫌な奴なのだそうだ。たまにFBやツイッターなんかでそういう手合に噛みつかれる。しかし最初から「こいつが嫌いだから一発食らわせてやろう」というシナリオに固執して感情的なのでそのうち勝手に矛盾を晒し自滅していく。

批判からスタートしても、お互い学びや部分的にせよ合意が生まれて着地するような話ができるのなら良いのだけど。

自分の能力の中でも最も需要のあるものをサービスすることが仕事になるわけで、顔がいい人は俳優、体格や体力に恵まれた人は野球、手先が器用な人は職人、頭がいい人は学者や医者、といったようにそれぞれの特徴を生かした場所に集約されていく。そして自分なりに悩み、色々試行錯誤した結果、アナリティクス(=分析)を前提としたウェブ屋というルートを作ることにしたが、結果的に事業での小さい意思決定についての相談や、単に依頼元の愚痴を聞く、問題の交通整理を行うといったところがどうやらウケているようである。

物事の進展速度はお互いのコミュニケーションコストとコンテキストのレベルで決まる

顧問先は色々なタイプが居るけど、コミュニケーションにかかるコストもまた、様々である。10のことを説明するための前提知識が8まである相手なら、前提要件をすっ飛ばして8までの確認をそこそこに9から先の話ができる。一方で、1から説明する必要があるケースもある。もちろんこれは仕事で、1から説明するのもまた任務なので、そこの手を抜いてはいけないことは理解しているし、実際にそれを飛ばしてしまうと後でトラブルのもとになることは自明であるから、むしろ飛ばそうとされると必死にブレーキを踏む。1~2を理解する前に加速したら、大事故になる。そういう心配をしての話なのだが、どうしてもその構造上、上から目線だと誤解されやすい。じゃあそのまま放置していいのか、それでいいのか、という純粋な善意からの心配でも、そう思われてしまう。

その結果、案件ごとに物事が進むスピードに違いが出る。前提の土台が出来上がっている同士だったら、すこぶる早い。そうでない場合は、土台を作るところに時間をかけるから、どうしても結果が出るまで時間がかかる。たとえ、どんなに簡単なことをちょっと継ぎ足すだけで結果が出るとわかりきっていても、合意形成の「型」が作られるまでに年単位の時間を必要とすることだってあり得るのだ。マインドから変えるって大変。でも、そこが自分の腕の見せ所なのだと思う。実際、あるクライアントからはすごく感謝していただけた部分でもある。

まあガチャガチャと色々愚痴のようなことをしたためたわけだが、私はいつも、このようにぐるぐると考えては、悩んでいる。ほんとうの意味で相談できる相手もいない。以前付き合っている人がいた時はしばしばそのような悩みを話したものだが、「そうだね、大変だね」という言葉がもらえるだけでお金に代えられない救いではあったにせよ、自分の悩みが「理解」されることはないし、解決することはないのである。自分の悩みの解決を他人に要求するようなことを考えても無意味どころか相手に迷惑なので、もう諦めた。

バカの振りをするという生存戦略は私にとっては自殺行為

よく、「バカのフリ」をしたほうが可愛げがあって得をするとか、まあ色々言われているわけだが、あれは組織の構成員として、はっきり言えば社員としての生存戦略であり、もちろんそれはその場においては正しいと思うが、私は自営業者であり、フリーエージェントである。前提条件が違う。私は「こいつ馬鹿だ」と思われたら商売にならない。実際、私を馬鹿だと思っている人からの依頼は来ないわけで、その一方、こいつに相談したらなんか良さそうだと思ってくれる人もいる。そのバランスが自分の市場価値を決めている。

私に対して「バカのふりをしろ」というのはもはや営業妨害である。勘弁してくださいよ。だいたい、バカなふりしてたら今のお客様が不安がって逃げ出すだろう。

それに、「バカの」「フリ」ってことは、自分をバカではないという前提からの発想であって、それはそれで「ホントはもっと賢いんだけど愚図を演じますよ」といういやらしさがあってなんだか嫌だ。「自分が素直にありのままいてどう評価されるかは他者に委ねて勝負する」でいいじゃないかと思う。

そもそも、こういう仕事をしていて「バカのフリ」をして利得が発生するような相手に関わってなんかいいことあるのだろうか。謙虚な姿勢≠バカのフリでしょ?自分に必要な要素や物を持っている誰かにこそ人は仕事を出すんじゃないかと思うのだけど。

もちろん、コミュニケーションを妨げないための方便として知らないフリをすることはあり得るし、実際に知らないことも多い。めちゃくちゃ多い。色々教えて下さい。昨日は5歳児に身振り手振り演技ありで、見たことのない洋画のプレゼンをしてもらって、これが新鮮で楽しかった。話を聞く限り、ちょっと5歳が見るにはバイオレンス成分多めじゃないかと心配ではあったが。

ブレークスルーしていくしかないんだよ結局

観測者も含めて全員の合意形成なんてことやっていたら人生が何回あっても足りない。結局、何事も誰が見ても分かる結果を出すまで、誤解を受けたりバッシングされたりすることは”よりマシな”コストとして引き受けるしかないのである。関係者同士が良好につながって信頼関係が出来上がっていれば、大丈夫。

もしプロジェクトが失敗に終われば、ほらみたことか、と叩かれて終わる。それも含めてリスクであり、コストとして引き受けるしかないのである。仕方ない。慰めてくれなんてダサいこと言って回るわけにも行くまいし。

「お前クソ真面目だよな。過小評価しすぎだって」

これ、先日友人に言われた救いの一言。これでここ数年の苦悩が浄化されるキラキラ音が聞こえてくるレベルだった。同時に焼酎で肝臓が破壊される音もしたような気がするがw

新卒の会社を辞めて以来ストイックさを失っていると思っていたが、どうやら無自覚にクソ真面目という意味ではストイックな部分は残っていたのかもしれない。無自覚ほど強いものはない。上手に使っていきたいな。

修行は続く。

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