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文学に興味を持つ。友人の影響を受け、与え、というありがたみ

毎年の大晦日はここ15年位ずっと高校時代の友人宅に集まることになっている。その友人もその間に結婚し、こどもも産まれ、にぎやかな家庭の主である。それではさぞ迷惑ではないかと思うが、毎年大晦日になると旦那は我々高校時代の友人を集めて酒を飲み、奥様は奥様でジャニーズ仲間を集めてカウントダウンライブを応援視聴するのが通例であるため、大変にぎやかな年越しになる。

なお、お察しの通りジャニーズ解散により応援視聴会も消滅し、おっさん連中の集まりに奥様も参加しあーだこーだと馬鹿話で盛り上がった。年を追うごとに健康や仕事の話題の比率と深刻さが増していくような気がする。ああ、俺ら全員40代になっちゃったんだね、と、先日浜名湖で釣ったチンタを持ち込んで作ってもらった唐揚げなどをつまみながら互いの無事を安堵し、現実と戦うお互いを褒め称える。

色々道は別れたけど同窓と呼べる唯一の人間関係

既婚、独身もばらばら、学歴も専攻もバラバラ、仕事もバラバラだが、高校時代に究極のデフレ飯こと当時平日半額80円チーズバーガーを死ぬほど買い集めて平らげるなど、同じ時間を過ごしたという点でかなり濃い繋がりである。これがいわゆるマイルドヤンキー的なアレであり、意外にも私は年に一度のその集まりををとにかく心地よいもんだと思っている。

そこに遅れて現れた友人がまた面白いやつで、営業肌なんだが妙にインテリなところもあり、凝り性でもある。悪く言えばミーハーなところもあり、軽薄さを感じなくもなかったが、歳を重ねて徐々にそれも落ち着いてきているように見える。彼は好奇心が強く、人見知りしないのでモテる。ちなみに高校時代彼とは仲が悪かったw教室であらゆるモノを投擲しぶつけ合うくらいにはw

影響を与えてくれる稀有な友達

彼が私に山登りやトレイルランを教えてくれた。今度一緒に、と話しているが、なかなか実現していないのは彼も忙しく、休みが合わないからだ。一昨年くらいにその話を聞いた時、なんでわざわざ山なんか走るんだ、めんどくさそう、と思ったものだが、今や自分も趣味の一つに加えているからわからない。

お互いに興味関心がシンクロしている部分も広いし、その中でもよりディープに学んだことが違っているところが所々あるため、会うたびに話題が尽きない。多人数でいるときに好奇心が強い二人が盛り上がると周囲はちょっと冷めた目になってしまうので、エンジン全開になるのは二人で出かけたときだ。最近は年に3回位のペースだろうか。

純文学おじさん

彼が今回やたらと文学の話題を持ち出してきた。川端康成や芥川龍之介の人間性と文体の美しさの乖離であったり、三島由紀夫の文体のナルシシズムや太宰治のこじらせっぷりなどに言及した。

どれも教科書に出るレベルの基本的な教養といえばそれまでだが、私が知るそれはあくまでも一般教養の外殻を撫でるレベルに過ぎず、語り合えるというようなものでは決してなかった。だからなるほど、とただうなずくしかなかった。というのも、私はあまり文学に興味がない。子供の頃から図書館に入り浸ることをとりわけ好んだが、「蜘蛛の糸」「地獄変」などのスペクタクルを感じるものは少し読んだが、「坊っちゃん」ですらまともに読んだことがない。中年になった今でも現代作家においては村上春樹はしつこくて、西村賢太は罵詈雑言の語彙の豊富さがたまらない、位の解像度である。山崎豊子「白い巨塔」「不毛地帯」はドラマも本も大好きだが、もっぱら実用書や図鑑の類を読み漁っているような子供だった。

古典的な作品は「青空文庫」でフリー公開されているから読んでみな、と勧められ、今年は少しずつ古典文学に挑戦してみようと思った。

というのも、このブログもそうだが、仕事として文章を書くことが時々あって、概ね肯定的な感想をもらえるのだが情緒的な表現や語彙、一つのフレーズにおける言葉選びにおける拙さを自覚しているからだ。ここまでお読みの方にはおなじみだが、私の文章は実に説明文的で、情緒に乏しい。

こう見えても、ブログやオウンドメディアとはいえ、対価を頂いて文章を書く身分である。そろそろそうした自分の表現力を高めるためのインプットも必要だろう、と思った。

ただ、問題は飽きっぽさである。強烈に感情移入するような作品か、興味関心の強いテーマでなければなかなか続かない。現に、この文章を書くのにだっていつもより苦労した。面白さに没頭するときは来るだろうか。

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