最近私生活も仕事も色々込み入ってて、釣りという選択肢が頭の中から消えている。
しかし、適度に釣りに行くのは健康上にも良いことだとも思う。悩ましい。
毎年1月中旬~2月が終わる頃までは勤務先の期末試験もあり、のべ150人分の成績を付ける作業があり、これを「適当」にやるわけにはいかず結構な時間を要する。ただ採点して終わりの科目はITを駆使して相当高速化しているが、レポート課題の科目も多く、これはやはり時間がかかる。留学生クラスの場合、人によっては文字を解読するところから始めなければならないw
そして他の仕事も色々重なりがちなので色々と余裕がない。今年は輪をかけて良くも悪くも色々私生活が動いていてそっちに時間を費やしている。
ここ最近は時々心に余裕がなくなって後ろ向きな発想に引っ張られ、ちょっと危うくなったりすることがある。どうにか抜け出したくて色々動いている。
そういえば先日検診があった。ギリギリ高血圧カテゴリーに入れられてしまい、心電図と眼底検査を追加された。緊張しやすいので本来より数値は高めに出ているはずだがそれはともかく。HbA1c6.6%とごくごく初期で発覚したとはいえ、一度は糖尿病判定を食らった身なのでいずれにしても眼底検査はありがたい。通常の例からいくと眼底に問題が起こるのはよっぽど防げそうだが、なにもないことを祈っている。
秋からの仕事上のストレスと運動量低下でまた太り気味だが、同じ体重でも減量を開始した頃とは全く体つきもスタミナも違うので、そこまで憂慮するような数値にはならないと思うが、いずれにしてもあと5キロの減量を目指して地道に運動習慣を増やしたい。
10日に一度、近所の里山や遊歩道を歩いて、仕事のある日はその夕方に公園などを散歩している。スクワットや腕立て伏せ程度の筋トレも頻度を増やした。しかしそれだけでやせるようなことはなく、食事のコントロールが圧倒的に大きいファクターだ。糖質のとりすぎには気をつけているが…。
春からは勤務先への徒歩移動も増え、渓流釣りもスタートするから、またいい運動になればいいなあと思っている。また、新しい勤務先ではちょうどいい時間にそれなりにちゃんとした場所で昼食をとれるので、栄養バランスも改善するはずである(今の勤務先は非常勤の居場所が事実上なくて、車の中で食べるか、外食になるのでよろしくない)。
ところで、最近「君は幸せになっていい人なんだよ」と仲間に言われた。幸せって何だっけ?とふと思ってしまった。お金をかけずとも、充足感を感じられる事は色々ある。散歩で面白い看板を見つけたとき。考えていたギャグがウケたとき。良き理解者に出会えたとき。たまたま割引クーポンが使えたとき。仕事帰りに飲むコーヒー。
私は結婚もしていないから、子供もいない。独身40代狂う説という名のミッドライフクライシスは本当にじわじわ近づいてきている感じがする。これまではこれで良かったと思ってたけど、これからは??自分を主人公にして生きていくことに飽きてくる、と誰かがそれを表現した。なるほど、そういうものかもしれない、と思った。
もともと私は自分のために頑張る、ということの意味がわからない人間である。セルフネグレクト的な側面も自覚している。
だから何か誰かのためになっているとか、世界を良くするみたいな外的な刺激がなければ何もできない。だから商売っ気がないし、中核的なマインドはニートと大して変わらない。稼ぐことから逃げちゃだめだ、と自分に言い聞かせて頑張ってみることもあるが、どうもしっくりこない。
コーチングの世界では「エフィカシー」という概念がある。自己肯定感とはちょっと違う概念のようだ。
「私はこういう人間なのだからあれがこうでなければおかしい」みたいなやつである。つまり私のエフィカシーを高めると、「私のような人間はもっとエッジの効いた人間に揉まれる環境にいて、どこにでも行ける大型車に乗り、釣り場に仕事道具も持っていき釣りの傍らネットを駆使した仕事をして、必要とあらば海外にだってサクッと出張して問題を解決する。そういうエネルギッシュな経験をうっとりした表情のおねーちゃんに枕元でねっとり語るのだ」みたいなことになる。これを本気で「そうじゃない現状はおかしいよね」と思えるかどうかみたいなことらしい。
よく根拠なき自信で挑め、というが、それとも通じる概念かもしれない。
たしかに部分的にはそういうエフィカシーの向上によってなし得たこともある。どこまでそれを高めていいのだろうか。別に住に興味はないから豪邸に住みたいわけでもないし、美食よりも安くてウマい店に詳しいほうが幸せな気がしているし、やたらと着飾りたいわけでもない。となると、仕事と趣味が自己実現のテーマになるわけだが、色々時間が経過してその輪郭がぼやけてきた気がしている。ちょっと研ぎ直したほうがいいかもしれない。