私が渓流で使っているランディングネットは、おそらく餌釣り用を想定して作られたシモツケの製品である。地元の上州屋で一つだけ売られていて、当時の自分にとって買いやすい価格だったし、当時やっていた管理釣り場に加えて通い始めた渓流でも使えるということで大変重宝した。
26歳くらいの頃に買ったと記憶しているので、少なくとも15年近く経過している。
Instagramに載せたら反応があったので記事にしてみようと思う。

フレームはアルマイト処理されたアルミで、グリップはインジェクション成形のプラスチックの上からガンメタで塗装してある。塗装してあるはずなのだが、ぶつけたり擦ったりしまくっているので素材の黒がむき出しである。そしてラバーコーティングされたネットもところどころ擦り切れたり、ちぎれたりしている。
要するにぼろぼろである。

この玉網は必要要件を満たしている
まず、管理釣り場で使うことも想定していたため、ラバーコーティングネットである。これは自然渓流しか行かなくなった今でもリリースする魚へのダメージを抑えられるし、ネットが絡まって苦労することも少ない。
そして程よい長さのグリップと広い間口はとにかく扱いやすい。
現状何ら不満がない。
そもそも、酸欠で動けなくなった魚を上に並べて写真を撮って”わざわざ”魚を手で持ってリリースするというスタイルのキャッチアンドリリースに全く興味がないので(やるなという意味ではありません。自分はやりたくないだけ)、「撮影のために」そういうオシャンなランディングネットがほしいとは一ミリも思っていない。
もう少し目の大きいラバーネットであれば、導入する余地はあるが、それでも今のでそれなりに利便性があるのでそんなに欲する理由がない。
高級品じゃなくても愛着は発生しうるのだよ
このランディングネットがボロボロになっていく過程は、私が渓流ルアーフィッシングが上達していく過程そのものである。単なる破損ではなく、くたびれていった結果のボロさは勲章だと思っているのだ。
30年選手のクーラーボックスに座ってサヨリ釣りを極めるじいさん、親からもらったような菅笠をかぶって鮎を引き抜く爺さん、平成初期感たっぷりのカラーリングのフィッシングベストに身を包むじいさん、めちゃくちゃ重そうな革のへらバッグを背に竿を振るじいさんのような、そんな人生の積み重ねが見える釣り道具ってのはなにもハンドメイドや高級品でなくても枯れたかっこよささえ感じるものだ。
シワやシミの一つ一つが人生の年輪、みたいな。
もちろん工芸品として美しいランディングネットの魅力はわかる。ラバーネットを採用しているものなどを見ると、ちょっといいなあと思うこともある。
しかし私にはまだ早いのである。この一見無機質な、素朴な工業製品を今後も駄目になるまで使い続ける。もう数百匹の渓魚を手中にしてきたこの玉網は私の渓流ルアーフィッシング人生そのものと言えるかもしれない。

オチ
などと、かっこつけてみたが、買い替えるくらいならルアー増やすし、なにより使えるだから使うんだよ、ああめんどくさい、という程度のしょっぱくて俗っぽい理由が最も大きい。でも、やっぱり愛着はあるよ。オフシーズンのときもこいつを見ると色々思い出して豊かな気分に浸れる。
買い替えやプレゼントを検討してくれたあなたやキミ、ありがとう。気持ちだけありがたく受け取っておきます。