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マルナガ釣堀の思い出

なんとなくマルナガ釣堀のサイトを見に行くと、ついに来たか、という感じ。今年の大晦日で閉店だそうだ。東海地区最後の「ハコ」の釣堀としてヘラブナファンに愛されてきた老舗の歴史がまもなく終わろうとしている。

初心者の自分を鍛えてくれた道場

20代の頃仕事もお金もなく(お金は今もないけど時間だけはない、どうしたものかw)、うつ病がなかなかしぶとくて朝起きられず昼頃にようやく何か気晴らしに行くかということで通った時期がある。一人で入門レベルの道具をなんとか揃え、昼で帰ってしまう常連さんと入れ替わるように釣り場に入る。平日で客もいなくなるから、これが面白いように釣れる。当時はもっぱら浅ダナ両ダンゴだったと思う。セットなんて高度すぎて理解できなかった(という思い込みがあった)。

当時は初代?オーナーさんで、めちゃくちゃ気さくな人だった。釣堀という場所にいい意味で独特な世界観を作り上げていたように思う。

抜群に濃い魚影

いつしかへらぶな釣りから興味が渓流のルアー釣り、シーバスなどに移ろい、しばらくへらぶな釣りをやらなくなっていた。それから数年が経過して、ふとでかけてみたら、自分と同じくらいの年齢と思われる若い方が切り盛りしていた。年齢層の高い常連のなかで運営していくのはさぞ大変なのではないかと勝手に思っていたが、笑顔の素敵な人だった。その頃からまた通い出した。

ある年末の日、鬼のように釣る男を見た

冬になると段底を釣りこなさないと厳しい、とどこを見ても書いてある。そこである年末の日、段底を練習していたが、なかなか釣れない。ふと真正面を見ると、カッツケセットで連発している人がいた。恐るべき勢いで釣っていく。多分100枚は超えている。冷え込んできた時期にカッツケセットとはどういうことなんだろう、と当時の自分の理解を超えていた。

今思えば、12月くらいなら日中上がった気温に表層だけ温められて上に上がってくる魚のほうが活性が高いのと、独特の強烈に濃い魚影がそれを押し上げているからだろうか。

それから数ヶ月して、その名人は次のオーナーになっていた。

「例会出てみてよ、楽しいから」

なんとなく通っているうちにセット釣りのやり方を教わったり、閉店時の雑談に混ざったりするようになり、自然な流れで例会に誘われた。果たして自分なんかが通用するだろうか。

初めて参戦した例会はたしか4月だった。7尺メーターのセットで一日を通し、21人中18位くらいだったような気がする。下位だったことは覚えているけどブービーとかではない。これは次に期待が持てると思い、5月も参戦。例によって7尺メーターのセットをやるが、上ずりが凄いので両ダンゴでハリスカッツケに持ち込み21人中7位と善戦。かなりこれは自信をつける経験になった。しかし問題は6月である。

6月の例会は突然の大雨、雨の対策をちゃんとしていなかったためずぶ濡れになってしまい、遅れて防寒着を着込んだものの寒くて8時の時点で戦意喪失。今だからぶっちゃけるけど、真正面で釣っていた爺さんが朝こちらから挨拶してもガン無視だったのでムカつき、絶対に負けたくなくてリタイアはしなかったw

で、20人中19位で終わり、その爺さんにだけは勝てたwwwwwwww

まあクラブではないから、いろんな人がいる。気さくで話しやすい人もいたし、プレッシャー半端ない強面もいた。挨拶してもガン無視する人もいたりするプレハブの中で弁当を突くのはなかなかにアウェーでしんどかったので、例会のたびに気をもむのは楽しくないから行くのをやめた。あんな奴に負けたくない、などという動機で釣りをするのは楽しくない。多分急に来なくなったからあっちからみたら感じ悪かったと思う。申し訳ないことをしたと思うが、こちらもレジャーなので。。。本音を書きました。せっかく親切にしてもらったのにごめんなさい。

それからもへらぶな釣りは続けていた。野釣りも管理釣り場も色々行った。楽しかった。マルナガでお世話になっていなかったら、ぽっと出で釣り場に行っても、周囲から「結構釣るね」と言われるような釣りはできないままだっただろう。今は1年位離れていてすっかり感覚も抜けてしまっただろうが。。。

顔だしたいけど予定が詰まってて断念

最後の最後なのに、予定が詰まっているので出かけられないで終わってしまう。間違いなく東海へらぶな釣りの一角を占める一つの文化だったので残念に思うのだが、その運命を決定していいのはオーナーだけだ。外野、それも全然お金を使っていない元ユーザーがあれこれ言うのは野暮というものだ。あの複雑怪奇な立地と老朽化した設備(失礼)でこの時代までやってきた事自体がレジェンドだ。

ユーザー層も常連が中心、しかもどう考えても高齢化が限界まで来ている。へらぶな釣り界そのものが高齢化しているとはいえ、こちらの客層の平均年齢は最終的に70を超えたんじゃないかとすら思う。ただでさえ20代の競技人口が圧倒的に少ないこのジャンルで、あらゆる環境を考慮すると新規ユーザーや若者を取り込むのは率直に言ってかなりハードな課題だったと思う。

その一方で、鯉釣り、金魚釣りで地元のファミリーに愛されてきたという点も特筆すべきだろう。そういうのどかな釣堀って今あんまりないでしょ。何かのアクティビティとあわせてちょっと釣堀でも、という位置づけならまだなんとかなるかもしれないが、純粋に釣堀だけだとこの超少子化社会で多様な娯楽が存在するこの時代、ほぼ無理ゲーだと思う。それでも令和までやってきたことも、これまたレジェンド。

池の存続のために尽力された二代目、三代目オーナー様、お疲れさまでした。

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