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カッツケ釣りは邪道か否か

このブログでも何度か書いてるけど、夏の猫ヶ洞池で釣りしていて、ヘラが湧いてるのでカッツケ両ダンゴで入れ食いを堪能していると後ろを通りかかった老人集団に「覚えたてでカッツケやってら。基本ができてないとうまくならんわ」と言われて「少なくともお前よりは底釣りで釣れる自信あるわ、老害。お前の年金誰が(自主規制」と思ったというエピソード。

カッツケ釣りは確かに水面下に見えるような魚をも釣っていくような釣りなので、せこいとかちょろい釣りだと思われることがある。

先に結論を書くと、(釣り場や団体の規定に違反しない限り)カッツケは強力な武器の一つだから必要なら積極的にやるし邪道じゃないと思うよ、ということだ。

検索でここに来た方に誤解のないように言っておくが、私はカッツケが必要ならカッツケもやるが、底釣りが有利だと踏んだり、あるいは底釣りで一日じっくり取り組みたいと思ったら底釣りもやる。やらないヘラの釣り方といえば、オカメのセットか超長竿のマッシュによるダムの釣りくらいだ。

セットも両団子も両グルもバラグルセットもやる。あえて好きな釣法を挙げるとすれば、「浅ダナ両ダンゴ」「チョーチン両ダンゴ」「メーターセット」「底釣り両ダンゴ」である。というか、このくらいの守備範囲があれば管理釣り場や手頃な池では一応一通りやっていると言ってもいいんじゃないだろうか。

ということで、私のへらぶな釣りというのは「特に強いこだわりがない」「釣れる釣り方をするか釣りたい釣り方に寄せるかは気分次第」である。

(規定の範囲で)必要性があるから高いタナで釣る。何が悪い?

今はなき「マルナガ池」。その自由池(タナ規定なし)は収容人数20人の小さな箱池であり、その割に魚の密度が恐ろしく濃い釣り堀だった。例会ともなれば魚もある程度沈みがちになるが、平日の午後などは水面に背びれを出して湧くような状況だった。

そんなマルナガ池の年末の新ベラシーズンに、メーターか、深めのタナで釣る人が多い中、一人だけカッツケセットで3桁釣果を叩き出す恐ろしい光景を目にしたことがある。生きの良い新ベラが上層に押し上げられているので、揉まれてもアタリが出やすいカッツケセットはたしかに圧倒的に有利な釣り方だった。

中京の管理釣り場でタナ規定があるところは私が知る範囲では豊田の「プラザ池」、いなべの「大安池」あたりだろうか。私がよく行く「加福」「温泉前」「つつじ池」そして「ひだ池」はタナ規定がなく、特に温泉前とひだ池、そして真夏の加福は状況によってはカッツケも有力な選択肢になると感じている。

カッツケ釣りを選ぶとき

私は底釣りをやっている人の真横にあとから入って断りもなくカッツケをやるような不躾なことはしないが、モラルとルールを守った上で数を稼がなければならない、明らかに魚のタナが高いとなったら躊躇なくメーターより高いタナで釣っていく。よく釣るのが目的のとき、一番良く釣れるタナに合わせるのは当然といえば当然である。

やってみたらわかるが、カッツケ釣りは魚の活性と密度が高くないと成立しない。食い渋りでひねベラを拾って釣るようなこともあるが、決してそういう時合はイージーではない。なにより、続かない。ダンゴの落ち込み際のアタリをとるので、下手すると投入してから10秒程度の勝負である。そこで食いアタリを出し続けるのは結構難しい。それでもダンゴのタッチを修正したり、ウキを変えたりしながらどうにかヘラが散らないように釣り込んでいく。

しかし狙いがはまると、タナが浅いから当然釣りのサイクル自体が早くなり、数も伸びやすいところがカッツケの魅力である。 私の場合、メーター規定がなければ、浅ダナと同じような認識で、というか、浅ダナからカッツケまでが連続した一つの釣りの範囲の中にあるイメージでいる。

縛りプレイととしてカッツケを封じる意味はわかる

ただし、メーター規定や、グループの規定でカッツケをやらない、という一定の基準を設けること自体はアリだと思う。当然その延長で底釣りしかだめ、というルールも面白いし、自分も一人で勝手に自分に対してそういう縛りをつけて一日遊ぶこともある。魚影が濃く、活性が高い釣り場では結局カッツケをOKにしてしまうとみんなカッツケをやるしかなくなるようなこともあるだろうし、ゲーム性をスポイルしないための工夫だという意味ではよく分かる。

しかし、一部の認識力があれな人たちが「カッツケは邪道」と誤解してしまっているフシがある。自分でそう思って自分の釣りをするのはもちろん自由だが、人にそれを押し付け始めたらアウトである。

ただ、カッツケしかやらない日が続くと、魚を深めのタナに集めるのが下手になるのはあるかもしれない。

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