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へらぶな釣りの今後について私見をまとめる2【2021年5月時点】

連載記事なので、必要であれば前回から読み進めてもらえるとよいかもしれない。

前回はへらぶな釣りを再開してから1年間の振り返りと、この頃の業界の動向についての私見をまとめた。今回はへらぶな釣りプレーヤーの現状分析について2021年基準で述べる。

10年以内にプレーヤーが半減することが確定、もはや一刻の猶予もない

へらぶな釣りの人口減少についての懸念をまとめた記事がいまだに当ブログでは上位のアクセス数をキープしている。あの記事を書いてから時間がたっているし、いわゆる例の病気で社会状況は一変したし、業界に足を突っ込んで一プレーヤーでありながらアナリストでもある立場から得られる情報量は以前とは違う。

やはり変わらないな、という部分と、変化してきたな、と思う部分があるのでその辺についても述べていく。

さて、変わらない事実としては「現状維持」ではやはり10年後にへらぶな釣りプレーヤーは半減する。このまま何もしなかったら半減ではすまないのではないか。ご存知のように、へらぶな釣りをライフスタイルに加えており定期的に釣行する釣り人の年齢分布でいえば圧倒的に団塊世代、ポスト団塊世代が多数派である。

このブログでは海釣りについての記事も多いため、ブログの読者層は広く分布しているが、とりわけへらぶな釣りの様子を紹介している拙動画チャンネル「ドブch」の視聴者は65歳以上が全体の40%に迫る。そして50代、60代以上で全体の80%超を占めている。つまり、38歳の私がヘラブナ釣りを楽しんだり、解説している動画を視聴しているユーザーのほとんどは自分の親と同じくらいかそれ以上の年齢の方である。そう考えると微妙に緊張するぞ!?

大変申し上げにくいことであるが、70代以上ともなるとそもそも動画視聴の習慣がなかったり、見方がわからないという方も多いだろう。そうした要素を踏まえても踏まえなくても、ユーザー層が比較的広範囲であるYouTubeというメディアで圧倒的にシニア層の視聴者を集めている事実がへらぶな釣りプレーヤーの年齢層を物語っている。

こうしたデジタルデータ解析の裏付けがなくても、釣り場に行けば一目でわかるといえばそれまでではある。が、一応こうした裏付けもあるよということで参考にしていただきたい。

70代ともなると健康上の問題などでリタイアするプレーヤーも出てくる。85歳以上ともなるとさすがに多くは引退してしまうのではないだろうか。そして2021年現在の団塊世代は70代である。このままいけば、確実にあと10年でへらぶな釣りのプレーヤーは半減し、市場規模もそれに倣って半減、海外市場の開拓か、新規参入プレーヤーの開拓を行わなければ超マイナージャンルとして細々生き残る道しか残されていない。

高度経済成長とバブルにシンクロして成長してきたへらぶな釣り

へらぶな釣りは伝統的な日本古来の釣りである、とよく言われるが、実はその歴史は戦前からであり、ジャンルとしては比較的新しい釣りである。まあ、80年の歴史は伝統以外の何物でもないが、今の団塊世代が70~80年代にかけてへらぶな釣りを大きく発展させてきたことは「新しく、面白い釣り」であったという側面は否定できないのではないだろうか。事実、70~80年代にオープンした管理釣り場は結構多い。70~80年代というと、今の団塊世代が35~40歳前後、そして経済はいよいよ世界の頂点へ、という時代だ。いろんな意味で最も勢いのある時代である。

それまでは野釣り、箱池、船釣りがメインだったへらぶな釣りは7~80年代に浮き桟橋による管理釣り場が増えていき、今につながる現代的なヘラブナ釣りの環境が整ってきたようだ。そして90年代、アユ釣り同様おそらく可処分所得が多い50代となった団塊世代がこぞって高価な道具を買い求めたのではないだろうか。これも一つのピークといえるだろう。

2000年ごろから徐々にその勢いも衰え始め、2015年ごろには減少が加速。すでにピーク時の半分くらいではないか、という意見をよく聞く(ここは主観的な感想で申し訳ないが)。しかし、このまま団塊ジュニア、それより若い世代を呼び込めないと団塊世代が離脱した時点で一気に市場規模は縮小することになる。

すでに決まった未来である。これだけは避けられない。

団塊マーケティングが成立する時代は10年前に終了なので手遅れ

少し前に、「団塊の世代にへらぶな釣りを初めてもらうのがよい」という意見を頂戴したがこれは解決策たりえない。多少は延命策になるかもしれないが、10年後にマーケット半減という状況を変えられるわけでないし、それに注力するパワーはすべて若年層、新規プレーヤーの開拓につぎ込むべきだ。そもそも業界全体として「幅広く対応する」余力があるような贅沢な状況ではないことは、業界団体の規模縮小や管理釣り場の廃業などを見ていれば明らかである。ビジネスの基本中の基本である選択と集中でいうところの集中すべきゾーンではない。(読解の問題だが、念には念を入れて「団塊世代を無視した営業をすればよい」ということではなく現状通り既存客を受け入れ、熟年の新規参入者には親切にすべきであるということは書いておく

今残された力は新規開拓、新たな価値創造に投入すべきだと書いたが、非常に残念なことに、へらぶな釣りの全盛期に育った権威主義と時として対立する。

これまでにも多くのチャレンジャーが現れ、その権威主義の前になし崩し的に、その挑戦はうやむやにされてきた。しかし、さすがにこのまま屈していてはいけないというか、そういう対立軸があること自体が業界を外から見た時にネガティブに傾く材料であり、この問題を根深くしているものである。

この対立軸の正体は何か、ということを私はよく考えている。

保守VS革新のせめぎあいはそれぞれの前提となる視点のずれから起こる

そもそも釣りというのは、その多くがローカルで、保守的で、村社会的な性格を帯びている、非常にマイルドヤンキー的な属性を持つ人たちが多数派を形成することで成り立っていて、その中に一部そうでない人が混ざっており微妙に住み分けていたりする。釣具店に行けばよくわかる。客層、かかっているBGM、店頭POP、そのすべてが実にマイルドヤンキー的な価値観に最適化されている。一昔前ならお前の作ったパスタがどうのこうのとか、最近なら俺がチキン野郎なのは全部ドルガバのせいでうんぬん、みたいな曲が死ぬまでリピートされている。

そしてそういう人たちのライフスタイルはえてして「終わりなき日常を愛し、変化を嫌がる」傾向にある(とマーケティング界隈では定義されている)。

ではマイルドヤンキーというのは最近出現したタイプなのかというと、そんなことはなく、古来から存在する村社会の多数派がモダナイズされた概念に過ぎず、いい意味で平均的な釣り客の姿である。つまりこんな小難しい長文を書いたり読んだりしたくない人たちのほうが圧倒的に多い。

さてへらぶな釣りである。へらぶな釣りというジャンルが持つ特性として、お手軽であるが突き詰めると知的領域を大いに刺激するタイプの釣りである。だからマイルドヤンキー的な人とインテリっぽい変わり者タイプが共存している。よく言えば和を重んじるタイプと、理知的なタイプ、悪く言えばローカルで古い価値観と排他的な偏屈が共存している。

そうした軸とは別に、へらぶな釣りのスタイルに対して保守的な人と、変化を受け入れる人という軸もある。

→価値観
↓スタンス
マイルドヤンキー的変わり者的
保守的「そういうものだから」伝統を守れ派流儀に反することは許せない派
革新的楽しければよくね?派改革しないと滅ぶぞ派

乱暴にまとめると上記のような感じになる。当然、斜め方向同士の相性はすこぶる悪い。もちろん縦方向も相性はよろしくない。横方向は個人間での相性問題はあるが、前提になる価値観に共通項があるため少々ゴールが違っても大した問題にはならない。

さて、今後の取り組みについてあれこれ議論するとなると、右側に属する人たち同士がロジックをぶつけ合うことになる。そうなるとどうしても目立つ。これを大多数の観戦者が論評する、という図式になりがちである。

前提の違いの正体とは何か

乱暴なくくりにて一言でいえば、「新規参入者に荒らされるくらいならすでに作られた世界観を守りたい」と「世界観が変化してでも業界を成長路線に持っていきたい」の対立である。

とはいえ、新規参入者がある程度増えないと管理釣り場やメーカーも力の入れようがないわけで、プレーヤーたちがどこまで時代の変化を許容できるか、というコンセンサスの問題になっていく。

たとえば、「管理釣り場の数釣りなんて魅力がない、野釣り、それも底釣りこそへらぶな釣りだ」、とお考えの方と管理釣り場専門トーナメンターカッツケ上等プレーヤーはそもそも住み分けによって距離感を保っているのであり、巨べら狙いから公園の野釣り、管理釣り場、箱池といろんなジャンルは物理的に離れたフィールドになるためあまり問題にはならない。

ここに一つのヒントがあって、お互いの領域を侵さない距離感を保持しつつの新規参入者の居場所づくりをいかに進めていくか、が事業を進めていく立場として、そして一ファンとしても押さえておきたい点だと感じている。

入口戦略と出口戦略

そこで私は入口と出口を分けた戦略を提案したい。というか、まだうっすらとではあるがやっている。入口とはその名の通りへらぶな釣りを体験する、やってみる、のゾーンで、出口とは自立したヘラ師に変化していくことを指す。つまり、へらぶな釣りファンになって用品を自分で選んで購入したり、釣りに複数回能動的に出かけるようになればおのずとヘラ師の世界観になっていくという考えだ。だからいちいち初心者の横に来て流儀がどうのこうのとかやっては野暮である。

「皆さんの積み上げてきた世界観を尊重します。ですが、その世界観に到達するためには入り口も必要なのです。その入り口を作らないと、そもそもジャンル自体が10年後には消えてしまいそうです。だから入り口は現代に合った形、つまりマーケティングによって利用者の立場に立った”提案”が必要なのです」

というのが、私の現時点での考えだ。そもそもこれまでへらぶな釣り業界は「提案」が苦手であった。でその入り口の在り方というのは、文脈としてへらぶな釣りの魅力をきちんと押さえていて、愛がこもっていなければ賛同も理解もされないだろうと思うし、そこを間違えると外様の素人が引っ掻き回しただけ、と批判されるだけに終わってしまう。

ではその入り口の姿をどう演出するか。そこはベテラン、関連業者一体となって初心者サポート体制を組む必要があるし、SNSや動画などのメディアに強い人材も積極的に参加する必要がある。楽しい、という共感を広げないことにはファンの再生産ができないからだ。そして、なにより若いインフルエンサーこそカギを握る。その若いインフルエンサーというのは、へらぶな釣りの経験が豊富でいてなおかつ新規参入者へのサポートに喜びを感じることができる性格の人が適任だ。

一方出口戦略は極めてシンプルで、また釣りに行きたくなる気分や、より上達したいという願望をこれまで積み上げられてきたへらぶな釣りの世界観がかなえてあげればよいのである。例会、グループへの参加や用品の追加購入によってよりその奥深い世界に踏み入れていく。そこから先は「ヘラ師の入口戦略」にバトンタッチだ。それはベテラン勢や例会の領域である。

今必要なのは入口戦略だ

とにかく、今は入口の導線をきちんと作り、楽しさを伝え広める仕組みを作らなければならない。へらぶな釣りは、いろいろ御託を並べずとも、「楽しい」のだ。楽しいということがどうやったら伝わるか、その楽しさの本質を今の時代の価値観や欲求にどうやって水平移動するか、それを真剣に試行錯誤し、実行に移していけば未来を少しは明るくできると感じている。

次回は入口戦略の深堀りをしつつ、出口戦略についても述べていく。

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