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フナはうまい 懐かしの金沢料理

川魚というのはしばしば不当に低く評価されるものだと筆者は思う。もともと私の祖父は石川県の人間で、河北潟という海とつながった湖でよくフナを釣っていたという。金沢といえば、一般的には日本海の海の幸をイメージする人が多いと思うが、伝統的な食文化としては、意外と川魚料理が豊富である。21世紀の今でも、どじょうのかば焼きは夏の風物詩。近江町市場ではウナギのかば焼きもよく売られている。アユは毛ばりで釣って小ぶりのものを食べる。ごりの佃煮は食通の間では有名だが、ヨシノボリやハゼの子を金沢ではまとめてごりと呼び、飴色に炊き上げる。

懐かしの味、正月のフナの甘露煮

筆者がこどものころ、親に連れられて金沢に帰省することが多かった。正月はタラのコブ締め、雌のズワイガニ「こうばこがに」、棒鱈の煮つけ(煮ている間すんげー臭かった)、その他定番の正月料理が並んでいた。その中でちょっと異彩を放っていたのが、フナの甘露煮である。

フナの甘露煮といえば、琵琶湖のお土産でもよく見かける、5センチくらいの小さなフナをまとめて煮詰めたものが知られているが、その席で食べるフナは15センチから20センチほどのものだった。種類は記憶の限りではギンブナだった。頭の骨や背骨も柔らかくなっていて、箸で崩しながら丸ごと食べた。水あめなどは使わず、あっさりとした味だった。これが日本酒によく合うのだというが、残念ながら成人してからは食べる機会に恵まれていない。

年末になると生きたフナを売りに来る

鯉やフナは活きたものを調理するのがおいしく食べるためのセオリーだ。12月も28日くらいになると、魚屋がトラックにフナを積んで持ってくる。それを鍋やたらいで生かしておいて泥抜きをする。筆者は川も海も近くにない、丘の上を切り開いた新興住宅地育ちで釣りの経験もあまりなかったが魚には強い興味を持っていたので、その生きたフナを手で捕まえては観察していたものだ。フナにしてみたら、どっちみち死んでしまう運命ではあるが、何度も手でもてあそばれて気の毒なことだっただろう。当然、料理するまでは死なせてはいけないから頭を指でつついていると怒られた。

調理法

まず、包丁で頭をたたいて気絶させる。はらわたを出し、そのまま焼き網にのせ、しっぽの部分に大根のきれっぱしを載せる。うろこは取らない。これはしっぽが焦げて落ちないようにするための工夫だ。一般的に鯉こくは内臓ごとぶつ切りにして煮込むので、フナの場合もわたは本来出さないものなのかもしれないが、そこらへんは記憶があいまい。

カリカリに表面が焼けて水分が抜けてきたら、ざるに並べて、風通しのいいところで陰干しする。この時点で香ばしいにおいがしたのを覚えている。そのまま一晩おいていたと思う。

そして、ほうじ茶を沸かした煮汁に入れ、しっかり煮込む。お茶を使うのは、骨や鱗を柔らかくするためだという。ある程度煮詰まってきたら、酒、しょうゆ、砂糖を加え、ひたすら煮込む。筆者の家庭ではあまり甘辛くはしなかった。あっさりした味で、どっちかというと骨をかみしめた時のうまみが印象に残っている。数時間だか、丸一日だかコトコトと煮込んで、あとはよく冷ます。

伝統料理なのでそれぞれに家庭の味があったのだろうと思うが、筆者のところではこんな感じだった。木曽川あたりでマブナ釣って再現してみようかしら。

味わい

寒鮒なので泥臭さは全くない。焼いて干すことで、そうした魚臭さを飛ばしているのもあるだろう。身や骨に濃厚なうまみが詰まっていて、これはコイやフナでないと出せない味わいがある。タイとかカレイなどとはまた違ううまみがあるのだ。やはり、タフで餌をよく食う種類の魚というのは、環境さえよければ美味なのだ。これは、どう考えても日本酒にピッタリである。湿度の高い日本海側の冷たい空気の中、昔ながらの灯油ストーブで餅を焼きながら、おっかなびっくりフナの甘露煮に箸を伸ばす。鏡餅はやたらと巨大で干し柿とかが引っ付いていたりする。あと餅がピンク。あの美しい時間はいい思い出だ。最近、あのころと比べて正月といっても何かと忙しい気がする。なぜだろうか。

何日かかけて家族分担でゆっくり正月料理を準備する風景も筆者の周りでは過去のものになってしまった。考えてみたら、あれから20年くらいたっているので、仕方ないか。

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