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思い出の落合池で両グルテン

へらぶな釣りは管理釣り場も野釣りもそれぞれ面白い。どっちも魅力がありすぎて、体が一つでは足りない。ここのところ、都合もあり管理釣り場一辺倒になっていたのでリフレッシュを兼ねて落合池に出かけた。この日は気温も一気に上がり16度前後まで上昇。釣れそうな気がしたのだが。

思った以上の混雑、常連さんでびっしり

ひだ池にでも出かけようかと思ったが疲れも編集前の動画も溜まっており、午前中は動画編集をしていた。それが一段落ついたところで気温が上がったなら落合池釣れるかもと思ってきてみたら、にぎやかな状態。ご迷惑にならないようできるだけ端っこの方に釣り座を構える。

セッティング

竿:ダイワ ヘラS 8尺
道糸:0.8号 ハリス:0.4号 24-30cm
ウキ:ひだ池ハタさんのPCムクトップかやウキ
ハリ:へら鮒スレ4号

エサは凄グル単品を基準通りに

のどかなのどかな昼下がり、ひたすらあたりを待つ

まあ、すぐにはあたらないだろう。のんびり構えてグルテンの定点投下を繰り返す。公園近くの横断歩道の誘導音が鳴るたびに落合池にいる実感が湧いてくる。原点回帰。ここでしょっちゅう竿を出していた頃は、若干24歳にもかかわらずすべてを諦めて、自分の価値を完全に否定してしまっていた。それから10年ほどなかなか運が回ってこなかったが、あるタイミングで過去とか縛りと決別し、自分の人生の使い方を変えた。まだ切り離せていないものも残っているが、あとちょっとだ。今取り組んでいる活動はどれもまだ始まったばかりだけど、自分のライフワークの一つになりつつある。

釣りは間違いなく自分にとっての人生からなくなりようがない存在だ。これを読んでいる人にも、釣りに自分らしさとか、自分の人生を救われた人も少なくないはずだ。

ウキを見ながら、この15年ほどの記憶をたどり、自分の生きてきた道をしみじみ噛みしめる。

一日のへらぶな釣りは、一人の人生を追いかけるかの如し。

周りと比べて自分を見るという相対思考は、心のなかに不満や不幸を呼ぶ。

相対的なものの考え方は用法用量をよく守るのがよい。生きていく上で全く相対思考なしということも原理的に無理なわけだが、目的と手段が逆になるほど相対的なものの見方に固執すると、修羅道を行くような生き方を迫られてしまうからだ。

自分の心の声と、目の前にある現象をよく観る。ソロの野釣りには、そういう時間がある。マインドフルネス的にすごく良い気がする。

30分くらいでウキに反応有り

しばらくするとウキにもやもやとした動きが出てくる。しかし、なかなか当たらない。1時間弱経過でウキがスパッと入るがハリスが飛ぶ。鯉かな?

しかし魚は寄っているということで淡々と寄せうちを続ける。いかにも釣れそうな、あと一歩という感じのさわりが出続ける。やがて、次かな?次かな?と思うような雰囲気がやってきた。そろそろ食うぞ。。。。

つん!としたアタリ一閃、ヘラSがヘラブナの運動エネルギーを受け止める。たまらない心地よさ。これを味わいに来た。

ちょっと痛々しいが、無事ヘラブナを釣り上げた。このサイズが釣れたら御の字、というのが本来のこの池だったが、以前たくさんいた7寸クラスはことごとくカワウに食われてしまうのだと言う。カワウ対策はどこの釣り場でも問題になる。釣り人の立場からすると忌々しい存在だ。

その後、カラツンが時折あるも続かず、日没。あとちょっとが気になって仕方なく、次こそ当たるのではないかとウキが見えなくなるまで没頭してしまった。坊主の人も多かったというが、なんとか一枚でも釣れてくれてよかった。

落合池は公園内の池なので特にゴミの持ち帰りを徹底すること。とりわけハリだけはしっかり管理し、持ち帰ること。子供が裸足で駆け回ることもありえる場所。良い釣り場を守るためにもマナーは徹底しよう。

謝辞

途中、帰宅前にわざわざ池の反対側から話しかけに来てくださった動画の視聴者のお二方、ありがとうございます。またお邪魔した際はよろしくお願いします。

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