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急遽【試練】が課せられたやま栄釣行

「課せられた」、と「カセ」をかけて洒落ようと思ったが、その日に乗ったのは筏である。

中央線の快速で車酔いした伝説を持つ同級生のYくんならグーグルマップで確認しただけで秒で胃液まで全部吐き出すレベルの、リアス式海岸に沿って縫うように通る道を左へ右へ。

先日はまだつぼみだった駐車場の桜満開を期待したがすでに葉桜になっていた。

収録開始!

渡船に乗るという体験そのものがちょっと面白い

乗っ込みが続いていて二桁釣果もしばしばあるという報告が続いていたので、きっとこの日も良かろうということだったが、前日から一変し、急に釣れない海になってしまっていた。で、その釣行日の翌日の釣果情報見たらめっちゃ釣れている、というw悲しいw

乗っ込みシーズンはどうしてもこういう波があるものだとは思うし、仕方ないね。

さて先生は急用により早上がり。午前中から一人取り残されての釣りになった。やむを得ない事情なので、仕方ないと言うか、若干の気まずさ申し訳無さを抱えながら、「予定と違う状況」「ヒントを与えられた状態」「単独」これもある意味自分への試練と思い続行。

置き土産のボケが大変ありがたい。

気配全然ないねんけど!忍び寄る睡魔

釣り方としては、落とし込み3~4投にダンゴ1投くらいのペース。別うちにするときも同様の比率。気配がないのにダンゴを打ちすぎても寄ったチヌが迷うし、打たなさすぎてもそれはそれでチヌを足止めできない、というマスターの教えを意識。生糠が手に入らなかったので余り物の旭家ダンゴにアミエビ、たまに活丸さなぎを手で握りつぶしたミンチを少量混ぜてちょっと潮上に落としていく。

活丸さなぎを握りつぶす時のブチュブチュした手応えと滲み出るクリーム色のエキスがなんとも気持ち悪く、日常生活では無理な動作も、おチヌ様のためなら余裕だし、何ならその手でおにぎりまで行ける。このエキスがダンゴに染み込んだらいい感じに海中で匂いが拡散するやん、ウヒヒなどと考えれば何も怖れるものはない。

ところが餌取りはフグだけ、しかも途中からハリにもかからないマイクロフグらしきサワリが続くだけで全く気配がない時間が数時間続く。

注:「なら、最初からミンチ買ってこればよかったのでは?」という点については、夏場のような量のダンゴを撒くわけではないし、エサの消費も少ない。そこで価格も安く、まるごと使える活丸さなぎを選んだ、という次第だ。

よく釣れるときはいいけど、釣れない時の釣りの気構えが大事

おそらくかかり釣り初心者が幸運にもよく釣れるときにエントリーしてチヌを釣る経験ができたとしても、あるいは全くチヌを釣ったことがなくても、最初に当たる壁が「釣れない時のメンタルと認識のズレ」。かくいう私も長年それに苦労してきてて、数年前から浜名湖や名港でチヌをある程度釣ることができるようになってから、さらにNSRに出会ってからはますます「チヌは絶対に遠くないところにいるし、一日のどこかで必ず餌を求めてくる」と思えるようになった。

しかし、チヌを釣ったことが少ない…あるいはラッキーで釣れた、みたいな経験しかないと、チヌはとんでもなく気難しく個体数の少ない希少な魚に感じてくるものである。そして情報を求め、玉石混交の中で溺れていく…。

潮回りや前日の天気から考えて夕方に少ないチャンスが有るのではないかと思いつつ、あまりに寒々しい状況に耐えかね、神にLINEを送る。前段で偉そうなことを書いていてなんだが、結局泣きついたのであるw

「餌取りが散発的にいるだけで全然気配が来ません。アミエビダンゴを時々打っています。だんだん釣れない気がしてきました」

送信っと。

返信あり。

「サナギで粘って、時合がきたらボケとエビで勝負。よっぽどのことがない限り、一日に何回かチャンスはあるはずなんで、頑張ってください」

神のお告げは、奇しくも「ドブサナギ」というふざけた名称で活動を始めた2017年の自分がたどり着いた「サナギを信じろ」だったことに少しにやけてしまった。

あまりに気配がないので、オキアミやボケを落とし込んではちぎられ、みたいなことを繰り返してしまっていた自分を軌道修正。サナギを半分に割って二個つけて、流されないギリギリのオモリで待つ。アミエビでネチャネチャのやわらかダンゴを潮上に落とす。

3時過ぎ、サナギに明らかにチヌが噛み付いたような鋭い反応。残念ながら飲み込んではくれなかったが、これは、始まったぞ!?

一転攻勢!今釣らねばいつ釣る!

チヌはもう足元にいる。絶対にこいつを釣ってやりたい。

サナギでも悪くないだろうが、夏場ではないし、チヌが選んでくれるまで時間がかかりそうだ。やはりここは即効性の高いボケしかあるまい。軽く潰されたサナギをハリからひっぺがし、できるだけひとのみできそうなサイズでいて、元気のいいボケをつけ、落としていく。

ビビっ!…コツッ!

明らかにチヌが食っている反応がすぐに返ってきた。ASRA D1の生きた穂先がビビッドに反応する。よく釣れるときはそんなことないけど、この時ばかりはまだチヌを釣ったことがない頃のように心臓バクバク。本当に心音が耳に伝わるくらいの緊張。久しぶりにこんなに熱くなった。

「いけ、いけ!」

先日の動画でニシダテツヤ神が「慌ててはいけない、釣り逃したら次の一投で釣ればええねんから」と言い、粘ってから確実に持っていく瞬間フッキングさせたシーンを思い出し、その瞬間を待つ。

慎重すぎるくらい、明らかに重量の乗った穂先の曲がり方になるのを待つ。

オモリを引きずってぐい、と押さえ込んだ。ここだ!

もうね、脳汁全開だよね。ビュッビュッビュルビュルビュルビュルーーーー!!!!!

ありがとうございます ありがとうございます

実に食べごろな35センチのチヌが釣れた。釣れてよかったー!!

さて、これはたまたま通りかかったにせよ、条件は揃った、ということなので必ず近くにまだチヌが残っているはずである。興奮したままボケを続けて落とし込む。このチヌから次の一投でもチヌあたりがでるが、これは不発。その次に、また確実に押さえるまで気持ち穂先を緩めて待つ。軽くテンションを掛け直すと、微妙に重量感が違う。ここだ!

「さっきのやつより圧倒的にでかい!」

一人で狂喜乱舞しながらファイト。しかし全然浮かない。ASRAなのに。もしかしてチヌじゃないやつ?ブリブリと前の方に突進していき、慌てて浮かせようとしたのが裏目に出てラインブレイクとなってしまった。

ここでゲームオーバー。一時間ほど時間を残していたが、何をやってもチヌのいる雰囲気は帰ってこなかった。

ありがちな名前間違いがあったが、別にいいのである。それにしても疲れ切って眠そうだ (撮影 やま栄渡船

NSRキャップをかぶってこの釣果というのもちょっと申し訳ない気はするが、なんとか「仕事」になった。辛抱強く、慌てず、じっくりと状況が好転した時の準備をしていく…という釣り。2つ目の見えない大物の姿を拝めなかったのが心残りだけど、一瞬しかなかったチャンスをしっかりモノにするという経験は今後に活かせそう。釣果というより、内容としてはとてもいい釣りだった。

特に、ここぞという局面でボケを投入する、ということの意味がとても良くわかる釣行だった。

今回の釣りも、ニシダテツヤさんはじめNSRメンバーのサポートで釣らせていただく経験でした。本当に感謝しかないです。

やま栄渡船、帰着後の時間もまったりしていていいものである。猫がたくさん寄ってくるので猫好きにはたまらないだろう

かかり釣りを楽しむまでの道のりが整備されていない

私の周りでもかかり釣りを「やったことがある」「やってみたいけど」という人は結構多い。釣れないからやめちゃったという人も多い。常々ここにも書いているし、話しているんだけど、本当にもったいない話である。

過去記事を読んでもらえれば分かる通り、私自身も元来全然釣れなくて萎えぽよなかかり釣り体験者であった。いや、まあ、あの乗り合い筏はあの人口密度だし、今考えてもハードモードだけども。

相乗りなしのカセ、筏なら、一日のんびり自分だけの時間が過ごせるし、(渡船店のレギュレーションの範囲で)好きに遊んでいい。それに、特捜部の強制捜査ですかってくらいの勢いで箱ダンゴを持ち込まなくたっていい。食わせエサも、極端な話釣れるんであればダンゴに混ぜたりサシエにしたりできるオキアミとサナギだけもっていけばいい。これに状況に応じてボケやシラサエビ、アケミ貝などオプション的に組み合わせれば選択肢が広がる、という考え方でいいのではなかろうか。「チヌは必ず自分の足元を通る」という自信と「必要だから必要なものを必要なだけ」持っていくスタイルを身につければ、無用な買い物も避けられる。

自分のこれまでの実績ではサナギでの釣果が一番多い

にもかかわらず、メーカーも著名人も、あれもこれも持っていくところだけバンバン見せる。ダンゴの配合はこういうふうでなければ、みたいなのが多すぎる。ヘラブナ釣りの影響だろうか?通りがかりにこの記事にたどり着いた方向けに書くと私はヘラブナ釣りもやるのだが、あれはちゃんとした明確な理由があって使い分けや組み合わせをする。が、あれだってちょっと流石にやりすぎ迷わせすぎ、と感じるときもある。へらぶな釣りならダンゴそのものがエサなので、いかに釣れやすい状態に持っていくかという話は成立するのだが、かかり釣りのダンゴはそれ自体がエサというわけではなく、比重のある塊によってサシエを保護するとか、集魚力の高い餌をポイントに配置するといった意味で用いられるわけで、そこまで「釣れない理由」をかかり釣りダンゴそのものに求めるのは、違うと思う。

謎に情報が煩雑で多く、初心者を惑わせる。釣れない理由はそこじゃないのに、延々と悩まされる。

だからもしかしたらあれがあれば釣れてたのではないか、というスパイラルに陥る。そして散財し、やがてやめてしまう。シンプルな道具で、シンプルなダンゴで、ちゃんと釣ることができる、ということをもっと伝えていけるようなメディアが必要だと感じる今日このごろ。

圧倒的に釣りたいというレベルまで入り込んでから、トーナメンターのような大量の餌の準備をする必要性に迫られることになると思うが、入口からそんなに使いこなせないほどのエサを持ち込むこともない。まずは、続けていけるペースで、多少波があってもコンスタントに釣れる釣りを成立させるところまでが「かかり釣りは楽しい」と思えるようになるまでのライン。この辺の整理をする、というのが自分のテーマになりそうだ。

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