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ひだ池ステップアップスクールでちょうどよい距離感のコーチングを目指してもらった結果

先日開催したひだ池の「ステップアップスクール」。おかげさまで大好評のうちに終了。すぐに次回開催を、とご丁寧なメールなども頂戴し、インストラクター陣も充実感でいっぱいだった様子。

また、今回募集人数を制限した関係で残念ながら参加が間に合わなかった方々も観測できる範囲で3人以上いらっしゃったことがわかっており、今後は是非このような「より熱意のある方々」にご来臨いただきたいと考えております。

それで、今後も折を見て開催しようと思っているわけだが、問題はインストラクターの確保である。いくら参加熱意が高かったとしても日程の都合が合わねばなんともならないので、インストラクター人材バンクを形成することにしようかと考えている。あわよくば、自分が全てに関与しなくても半自動的に段取りされていくようになるのが望ましい…贅沢な希望かな?

ともかく、今回は事前に綿密な打ち合わせ、コンセプトの周知を行い、より多くの、ではなく、「より少なく、より良く」というエッセンシャル思考でことを進めるようにしたので、その記録と裏側の葛藤などを書き記しておこうと思う。

ただでさえやることが増えるのだから、エッセンシャル思考は必須

エッセンシャル思考とは、本質的に不要な要素を省いていき、より少なく、それでいてより良いものを目指すという考え方である。

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それでもまだ不十分なところはあるが、少なくとも参加者を増やす方向をあっさり切り捨て、準備等に掛かる時間やパワーなどの諸々のコストを抑えるようにした。申込みはグーグルフォームに限定、告知も最小限度の手間。もちろん、それでも協賛についての調整とか、コンセプトの周知など色々やることはある。が、それでも十分参加者は集まったし、準備も整った。今後はさらにこれらの業務をスマートにしたい。

コンセプトの周知、理解にはそれなりに時間と手間を掛けた気がする。

さて、そのコンセプトとは何か。インストラクターと参加者の関係性と、介入の考え方である。今回の本題はここ。教えるということは、奥が深いのである。

先回りしない、正解を教えるタイミング、その人なりのスピードで

楽しく、手応えを感じながら進んでいただくためには、インストラクターがどこまで参加者の行動に介入するかをよくよく考えておかなければならない。ここはものすごくじっくりとインストラクター陣に力説した。力説しすぎて悩ませてしまったのは反省。

釣り人というのは往々にして教えたがりなのであるが、当事者の知識や行動の許容範囲を超えてしまうことが少なくない。いきなり大量の情報を流し込まれても真似できないし、仮にいきなり正解を体験してもなぜそれが正解なのかを理解できない、再現できない、ではステップアップしないのである。

だから、「先回りしない」、「まずは自分で考え、やってみる時間をとる」、「その人なりのペースを崩さない」を徹底していただいた。たとえば、適切と思われるタックルは事前に参加者に伝えてあるが、それでもどこかが噛み合っていなかったりするものである。そこでいきなりタックルを直したり、交換してしまうようなことは避けるべきで、いきなり正解のタックルを配布するというのは言うまでもなく成長の機会を奪う。まずは自分で用意したもの、知っている方法でやってみて、それでうまく行かないという「知覚」を経る段階を踏んでから適切に介入していくのが望ましいと考える。

検討要素を絞って取り組む経験を積んでいただく

今回は肝いりの企画であった。というのも、私が個人的にも頼りにしているヒロキューの「みやび」というダンゴエサが今回のコンセプトに最高に相性が良かったからだ。単品でも調整の幅が広く、難しく考えなくても広い状況に対応できる。まずはみやびからスタートして、必要なら別の調整エサを追加して状況に合わせていく、というわかりやすさに好感をもっていたが、ひだ池においてはこれが単品でスタートしても釣りになる。色々考えてもドンピシャな今回の企画。ご協賛をいただけたのはとてもありがたいことだった。

その「みやび」で一日の状況を通すこと。釣れる時間帯、つれない時間帯、工夫したら何が変わるか、こういった経験を積んでいただくことも、今後の上達のために必要な過程だと考える。なぜあの人は釣れているんだろうか?なぜさっき釣れたのに今は釣れないんだろうか?こういう疑問を持つことがステップアップのきっかけになる。

美術教師を務めてきた経験から、適切な介入について考える

ところで私は中学、高校で美術を教える教員免許状を持っており、高校での講師経験が数年ある。カルチャースクールもやったことがあるし、小学生向けの夏期講習なども経験がある。

生徒は常に、自分の絵がうまいか下手かを考えて悩む。基本、自己肯定感が低いと筆も進まない。これにどう関わるかは、シチュエーションによって全然違ってくる。美術系の進路を希望している学生には、デッサンの基礎から合格するための技術、そして独創性、思春期特有の感性を引き出すということも含めて絶妙な距離感で関わっていかなくてはならない。しかし、普通の生徒が単位の都合で受けているようなモチベーションなら、筆を執っただけで大躍進だし、写生の場合デッサンが狂っていてもあえてスルーする。本人がデッサンの狂いに気づいて悩んでいたら、どう修正するかを教える、みたいな若干引き気味の距離感になる。

一方その下積みと言うか、美術系の予備校に通って学んだ経験もあるが、あれはまさに地獄のような(w)シビアな訓練の世界だった。いつもデッサンを描きあげると、講師が生徒の作品を並べていく。うまい順に。私のはたいてい底辺だった。ドベ3になって喜んでいた。東海地区の中でも上位層の高3が集まった場では、最近始めたばかりの自分など腹筋ローラーを両手両足に挟んで高速道路のランプに突入するようなもので、学び始めたのが遅かったのもあるが、おそらく向いていなかった。下手だと容赦なく描いているところを消され、先生が修正していく。だんだん「俺の絵」ではなくなっていく。

これはあくまでも「合格するためのノウハウ」と「定説たる技術の習得」を「自分の未来を突っ込んで」獲得しようとしているのだから、それでも受け入れていくしかないのだ。下手したら、自分の絵がどれだけ下手でも先生から見て興味の対象外になっていたり、嫌われていたら介入どころか無視である。無視されるお前が悪い、の世界だ。やってもらえて感謝なのである。自分が今直そうと思っていたところを「下手だなあ、お前(画面の隅に名前を書くルールになっていたが、当然名前は覚えてもらえない)。やる気あんのか。帰れよ」などとアタリの強い言葉で指摘されたり、消されたりしても、ありがとうございます、と思えなければいけない。色々つらいw

しかし、カルチャースクールでこのようなことをやったらどうなるか。考えただけでゾッとする。

ここまでお読みになってお察しのとおり、今回企画したステップアップスクールに限らず、普通に釣りを楽しみたいという人にとっての教わる場というのは、カルチャースクールである。そして、美術系のそれと非常に似通った面がある。

「その人の世界観」「その人の力量」「その人の気分」のボーダーを見極め、適切な距離感と介入度合いが求められるのである。なので、インストラクターには高いコミュ力が求められるという話になっていく。

高コミュ力でないと成立しないかと言うと、そうでもないよ

ただ、高いコミュ力というのは、よく話すとか、教え方がうまいとか、そういうことではなくて(もちろんできるに越したことはないが)、余計なコミュニケーションを取らないことに尽きる。もうちょっと具体的に言うと、ぶっ壊れたベクトルのコミュ力が場を持ち崩す、ということである。

ではぶっ壊れたベクトルのコミュ力とは何か。

聞き手の興味関心、理解度を超えて語ること。聞き手を先回りすること。聞き手のやっていることを飛び越すこと。そんなところだろうか。いくらその内容が正しかったとしても、じゃあやってみよう、とはならないだろう。

口下手でもいいから、程よくポンとヘルプ対応ができれば、それで良いのである。別にその日一日で劇的な変化が起こらなくてもいいのだ。釣り人生はこの先も長い。絶対に焦ってはならない。学生時代の恩師から、「教えたことの1割しか伝わらないと思え。10年後にあと1割追加で思い出して腹落ちしてくれたら大成功と思え」と聞かされたが、これはそれ以来、教員としての人生でも、仕事上でも、ずっと意識し続けている。

じゃあ、そのような温度感をどうやって再現するのか、ということなのだが、これはシンプルに言えば「インストラクターはインストラクターで釣りを楽しんだうえで、参加者により良く釣ってもらう」「違いの発見や疑問を持ってもらい、答える」ということだ。今回はまさに3人共これを完璧にしていただけたので、高い満足度に繋がったと思っている。

学ぶ意欲があれば、見て考え、分からなければ質問し、自ずと学ぶもの

へらぶな釣りというのは、細かい部分の調整を絶え間なく行っていくが、基本動作は一日中反復される。なので、道具の配置や動作は自然と最適化されていき、多少人による違いはあれどほぼおなじになっていく。これは茶道のしつらいと共通する部分である。

今回については余談になるが、実はかかり釣りのNSRでも全く同じように、道具の配置、所作も最適化されていて、大いに真似していきたいところが多々あって、それに気づいた人に影響を与えている。

さて、今回の参加者は学習意欲旺盛で、インストラクターの両脇に座っていただく指定席制を敷いたのだが、これが良く機能し、見て気づき、学び、やってみる、が成立していた。この自発性こそが学ぶ上で最も大事だし、ステップアップスクールがステップアップスクールであるがためにとても重要なファクターである。

それが結果的に、濃厚で、熱い時間になる。

それは、インストラクターのさじ加減で変わってしまう脆さも併せ持つのだ。繰り返しになるが、今回はとても良かった。テーマを絞って、一個の小さなクリアを共に喜ぶ、という様子が見られた。そしてその絶妙さをインストラクター陣も体験できたので、おそらく次回からはオートマチックにこのような展開になるだろうと考えている。

インストラクターの皆様ありがとうございました。

一方自分は大見得きって大滑りした

午後から5枚検量の体験大会を開催。

「SAYOさんパッパッと5枚釣って教えて回らなきゃ~ え~?絶対釣れるって、余裕だって~」

と散々あおり散らかしておいて、自分は想像以上に釣れなくなり焦って本気で釣りをしたが4枚でタイムアップ。しかも2枚ほどアクシデントで取り込めず。偉そうなことを宣って申し訳ございませんでした。腹切ります。腹切る前にむち打ちでもビンタでも何でも受け入れます。

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