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筏に乗ってもチヌが釣れないという悩みを克服するには

釣り仲間の少なくない割合が「チヌって難しいんでしょ」という。一方、ニシダテツヤさんは「チヌなんて簡単に釣れるよ」という。そして黒河アドバイザーは「チヌで良かったら嫌というほど釣らせてあげるよ」という。いや、この二人が異次元すぎるからもうなんというか、もうね、そうですよね、という感じでストレートに飲み込めないのだが、実際、かかり釣り初心者か、多少経験したことがあるよ、という方にとってチヌがやたら難解で難しい魚と思われがちなのは確かだ。

釣れないスパイラルに陥ると余計釣れなくなる。難しいというイメージが増幅する。

決してそんなことはないよ、チヌは釣れるよ、ということをこの記事にしたためていく。我が身に言い切ることで勇気を持つという意味でもあるw

まず、チヌなんてどこにでもいるありふれた魚であるという認識をもつこと

放流事業で増えているみたいな記載を以前は見かけたものだが、むしろ最近では増えすぎて厄介者扱いされているくらいだ。浜名湖のアサリ食害は有名だし、食用としての利用が減って久しいチヌはその数を伸ばしているようだ。

それでなくとも、決して幻の魚ではなく、ほぼ淡水であっても生きていけるし、魚が泳げるところならたいてい現れる可能性がある魚だ。フィールドも磯釣り、堤防釣り、投釣りを問わない。多少の障害物や藻場があれば通るから、筏を掛けるのは砂地や砂泥の平坦なポイントでなおかつ近くにそうした地形変化や障害物があればなおよし、というわけだ。

そして個体数はいわゆる餌取りより少ないことが多いが、それでも毎日日本中の釣り場でごく普通に釣り上げられている程度にはありふれた魚である。まず前提としてこれは押さえておきたい。

チヌは賢い?

先日の釣行会でも、誰かのハリが刺さったままのチヌが釣れる、ということが同じ筏で起こった。食い意地が張っていて、少々口にダメージがあっても気にしないというのが本来のチヌなのではないか。そういう意味では賢いかもしれないが神経質かと言うとそうでもないのではないかと思ったりはする。

近年はダイバーによる観察や水中動画などで色々わかってきたが、それによれば砂煙にチヌが興味を示したり、ダイバーに近寄ってきたり、一度興味を示したエサには執拗に取りついたり、そういうアグレッシブさが知られるようになってきた。

多分、魚類の中ではそれなりに知能はあるほうだろうが、賢いから難しいというより、釣り人側がチヌに寄り添う釣りの技術の問題だと思われる。

名古屋港でフカセ釣りやってた頃、ほぼ毎回40センチくらいのチヌを拝めた

チヌは神経質?

これも、他の魚と比べてそこまで違いはないのではないかと思う。いや、アジ、カワハギ、フグよりはさすがに神経質だろうけど、さすがにハリスを見切る、というのは嘘なんじゃないかと思う。それより、仕掛けの太い細いが不適切だと狙ったところに正しくエサを運べない、釣り人側の技術や制約の問題が結果として釣れないだけだと考えたほうが良いと思う。

そもそも神経質だったら見えチヌなんているわけない。水面近くまで浮いてイガイをバリボリしているところに人間と遭遇したら、そりゃ反転して潜るだろうが、そんなの他の魚でも同じだろう。

人間が勝手な想像で難しくすることをやめること

まず釣れないスパイラルを克服する一歩として、勝手に誰かによって作られた神経質、賢いといった概念をすべて捨てる。これに尽きる。これはニシダテツヤさんも動画で「チヌを擬人化してやたらむやみに難しい設定を増やさないように」と語っている。

釣れる釣れないは、自分の「食わせる」「あたりを取る」技術の問題と、単純に偶然か、何らかの理由でチヌが寄り付かなかった、のどちらかくらいに考えておいたほうがいいと思っている。例えば、エサ取りを集めすぎてチヌの反応を捉えられなくなっている(から、一旦休んでエサ取りを減らしておいてから再開すると釣りやすくなる)パターンもありえる。

基礎がきちんとできていて、状況対応ができれば結果がついてくる、不思議な魚

チヌという魚は不思議なことに、まぐれで釣れることがある程度だと本当に貴重な魚に感じられるものだ。まぐれで釣れるかどうかという技術や経験では、なかなか釣れない。どうやって釣るか、というプロセスができていないから、たまたまそれができていた、という運に頼ることになる。

私も若いときはその悩みを持っていた。

ところが一枚、狙って釣った経験ができると、その後はなんやかんやあって釣れるようになっていく。つまり、チヌを釣る技術の初歩を理解し、身につけた、ということになる。あとは経験を積みながら引き出しと正確さを高めていくことになる。その更に上のステージとなると、プロセスはもっと洗練されていくし、仮説と現実のシンクロ度合いも高まっていくわけで、それが手応えとして楽しいと感じられるのではないか。

これがチヌがゲームフィッシュとして優秀であることの大きな要素だと思う。正しく取り組めば釣れる。再現性がある。さらにその奥深さもある。そしてある程度数も釣れる。

数で思い出した。数釣りできる場所に言って、チヌが特に幻の魚ではないということを我が身に分からせる、というプロセスがあっても良い気がする。

チンタの数釣りでチヌ慣れするというのも実はおすすめだったりする

15センチ程度の小物であっても、チヌは針がかりすれば重量感ある引き味を楽しませてくれる。侮るなかれ。小型の数釣りができる秋口~初冬にかけて数が出る釣り場に出かけておくのも良い経験になると思う。

かかり釣りについて言えば、ちまたのHow toが運任せとしか思えない内容であることが難解さに繋がっている

一旦、ステージだの飼い付けだのは忘れろ!!集魚も忘れろ!!

くらいリセットしたほうがいいかもしれない。

聞くところによると、タイ類でなければダンゴを小突いて割り中身を取り出して食う、というのは難しいらしく、ボラやカワハギなどは表面をつついて削ぐ程度だという。ダンゴは第一にサシエを守る鎧だ。特に暖季は。ダンゴ釣りのそもそもの原点に立ち返って考えていきたい。何を混ぜるかより、どのタイミングで食わせ頃にできるか、を考えたい。

アジやアイゴのような厄介なエサ取りを集めすぎると収拾がつかなくなる。こんな状況を続けてしまうと、餌取りだらけで釣れなかった、という自業自得な結果になってしまうので、集魚は最小限から徐々に試していきたい。たとえば、ダンゴから抜けた瞬間にアジがひったくっていく、というのが繰り返されるようなら直ちにダンゴを打つのをやめて、両脇にサナギを落とすなどオキアミレスなアジを刺激しない釣りにシフトする、など。

ところでこのブログでも長いこと書いているように、私はもっぱらNSR流のNSD、すなわち糠+砂ダンゴである。先日のはやし渡船釣行では3人相乗りの筏であったが全く集魚要素を追加せず、エサ取りが静かなレベルになってようやく少しオキアミを混ぜたりした程度。食わせにかかりたいときはエビだけをパラパラとダンゴに包んだりした。

大会の結果

その時の釣果がこのとおり、3人並んで乗った筏で大会というシチュエーションでもあり、自分史上基準でいうとかなり良好と言える内容である。その他、小さいマハタ、アオハタなども釣っているが、全てリリース。アジは極力寄せないように気をつけて最小限しか釣っていない。エサ取りを騒がせないダンゴワークに集中した結果である。

答え合わせをしたところ、もう少し寄せにかかっても良かったんじゃないか、とのことだったが、その匙加減はデリケートで、一旦崩してしまうとあとが大変だと思い、やや消極的に組み立てた。本来もう少し攻めても良さそうだったのかもしれないが、一日を通してアタリを出せたという意味では場をぶっ壊してしまうよりはマシだったと思っている。もう少し熟練したらその足し引きも最適解に近づくだろうか。。。

チヌはきっと一日に何度も足元を行ったり来たりしている

それを釣れる状況に持ち込めるかは技術次第だから、ゲームフィッシングとして成立するのだと思う。

ところで、また別の釣行で全く釣れなくなってしまったことがあった。本当にチヌがいないんじゃないかと思えてくるほど、気配がないまま時間が過ぎた。その原因はダンゴの空中分解や混ぜ物の拡散が潮に乗ってしまったことにあるという。つまりこちらが想定しているよりずっと潮下でチヌは安心して餌を食っていたであろう、ということだ。

もしかしたら、初心者がチヌをいつまでも釣れなくて困っている原因の結構な割合がこれにあるかもしれない。

ダンゴをしっかり締められない、バラける、チヌが離れる、あたりが出ない、焦って集魚要素マシマシにする、ダンゴが締まらない、バラける、チヌが離れる、の悪循環。できれば、ポイントに取りついたチヌをダンゴ本体に執着させてしまいたいのだが、ダンゴが甘いとチヌを遠ざけてしまうし、集魚力をマシマシにすればよりその威力は拡散してしまう。それで潮変わりのタイミングや偶然のタイミングで釣れるチヌしか釣れない、ということになってはいないだろうか。

そんなときはむしろ、一旦時間を置いてから丁寧にダンゴを握り込むようにするなど、引き算の釣りも取り入れていくとより確率が上がると考えている。拡散してしまったエサが薄まるまで思い切って休んでしまったほうがいいのに、巷のテクニックではむしろダンゴをさらに追い打ちして余計に釣れない状況を作りに行ってしまっていると考えられる。フカセ釣り風に言えば、コマセと食わせが同調していない状態になってしまう。

そんな状況でもチヌはいるのだ。想定しているより遥か遠くに。それでは釣れない。やっぱり、近くに引き寄せたい。そう考えると、ダンゴワークは自ずと決まってくるよね、というのがNSDの釣り。コンパクトな組み立てで再現性の高い釣りを目指すのがこのスタイルなのだ。

徒然と書いてきたが、一旦基礎的なことを文章にするべきかもしれない

これまで学んできたことの整理も兼ねて、かかり釣り入門として、よりコンパクトかつ丁寧にチヌに近づく方法を記事にしてまとめる必要があるかもしれない。牡蠣チヌをはじめとした貝類メインで組み立てるかかり釣りや真冬の基礎的内容についてはまだ経験がなくて書けないが、暖季のオーソドックスなダンゴ釣りをメインにしたかかり釣りはきちんと高い解像度で言語化すべきだと思える。

ただ、監修頂くレベルの緻密な内容はドブログじゃなくて、ISSEN公式サイトでやったほうがいいかな、という気はする。こちらのブログではうちPなりのまとめとして参考資料としてやってみようかな。ちょうど、ヤバ殿氏もかつてのダンゴ撒きまくりスタイルからNSDに宗旨変えして、早速好釣果を叩き出しているし、頃合いかも。

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