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たくさん釣りたいのか、それとも上手くなりたいのか?ニシダテツヤ師の教えを自分なりに落とし込んでみる

かかり釣りのレジェンド、ニシダテツヤさんが先日新しい動画をリリース。(まあリリースのボタンを押すのは私なんでアレですが)

ぜひチャンネル登録してくださいね。

師はかかり釣りの専門家なのだが、動画中に言及している内容は広く一般の釣り、もっというとスポーツ全般に言えるんじゃないかと思うような内容なので、ぜひ見てみてほしい。夏に取材したときに「ドブちゃん、たくさん釣りたいのか、それとも上手くなりたいのか、どっちですか?」と訊かれて、答えに窮した。なんか試されているんだろうかとめちゃくちゃビビったwで、その後に理屈を聞いたんだけどその時は自分の中で理解できてないような感じだった。

それでなるほど、うまい、とはそういうことなのか、と腑に落ちるまで時間がかかったが、動画で丁寧に説明されているのだが、賢明なみなさんのほうがサッとご理解いただけるのではなかろうか。

たくさん釣れることとうまいことは別である

たくさん釣りたかったら、釣れる場所に行けばいい。イージーに釣れる場所に行けば、たくさん釣れる。しかし、うまくなれば、どんな場所でも深く釣りに向き合えるし、釣ることができる。うまくなるために取り組んでいけば、釣れてしまう場所を追いかけるより自分が釣りたい場所で、仮に釣れなくても釣れないなりに試行錯誤し、さらには釣れるポイントを気持ちよく他者に譲ることさえできる。どっちを選ぶかはあなた次第だ、という。

より詳しくは動画をご覧いただくとして、これってかかり釣りもそうだけどへらぶな釣りにも全く同じことが言えるなあと思ったのだ。

一発大物狙いの「モンスターの巣窟」への大遠征。なかなかチヌが釣れないものの、いざ釣れたらとんでもないサイズが出る場所だが、まさにこういう釣行で平均して結果を出していけるのは「うまいアングラー」なんだと思う。自分はついていって、釣らせてもらっただけなので、ニシダさん、黒河さんというトップアングラー二人の「上手い釣り」をトレースした結果。実際単独釣行だと今ひとつぱっとしない釣果だった。つまり私は全然うまくないのである。はやし渡船のように「釣る人は釣ってる」ような渡船店に通いこむのが当面のテーマである。

さてへらぶな釣りですよ

地獄の混雑により新ベラ放流効果が初日から完全無力化された落合池で悶絶する皆さん

野釣りは釣れなくて当たり前という認識があるものの、管理釣り場では釣れて当たり前、釣れないのがおかしいというと大げさだが、基本的に数釣りの世界である。ゆえに、管理釣り場の放流状況や釣果情報は釣行の意思決定に大きく作用する。作用するのだが、ここに「たくさん釣りたい」と「うまくなりたい」の違いで釣行する理由が変わってくる。

「どこそこでバックバクのイレパクだったで」

と言われて、よっしゃ俺も行ったろ、となるかどうか。

「渋かったけどなんとか釣れたな」

と言われて、そんならやめとこか、となるかどうか。

プライベート釣行においてその日一番釣れる釣りを追いかけるか、それとも自分が気になっているテーマを追いかけるか。

そりゃ、管理釣り場としては、もれなくよく釣れる池を目指しているはずである。集客に決定的に影響するからである。よく釣れる池はお客さんを呼ぶ。これは間違いない。自分だって、全く釣れない池よりは釣れる池のほうがありがたい。料金支払うわけだし。

しかし、イージーに釣れる状況しか知らないと、例えば例会やトーナメントのような上級者による混雑や、その他の理由による食い渋りに対して手も足も出なくなる。昔にも書いたかもしれないが、例えばある釣り方なら、あるいは誰かは釣れているのに、特定の釣り方しかしない人が「今日は釣れん!へらがおらん!」とキレ散らかしている様子は見ていてああなりたくはないなあと思う。そうじゃなくて、工夫してヒットにいかに近づいていくか、を追求するのが楽しさだし、巧さだと私は思う。じゃあ釣れる場所で釣れる釣りだけすればいいかと言うと、そうじゃなくて、あえてそこから外した釣りをすることは大いに練習になるし経験も積めるけど、それはそれで自分で納得しとかないといけないよ、という話である。

管理釣り場や放流がある釣り場は、「いる」のである。いるけど、食ってくれないのである。どうやって釣るか?ここで魚や場所のせいにするか、自分の技量や判断を疑うか、これってビジネスや自己啓発で言うところの他責思考と自責思考の話と全く同じだ。とにかく、釣れる釣れないで管理釣り場を大声でディスるのは他責思考そのものなので、私はやらない。釣れない状況だという事実は隠すことはないけど、釣り場や運営をディスっちゃだめよな。

全く釣れないというのもアレだが、工夫しないと釣れない、という釣り場に通うことで見えてくるものはあると思う。ただ数が釣れればいいのなら、水面直下にワキワキになるのが当たり前の釣り場に行って、淡々と繰り返して釣ればよい。しかし、一筋縄でいかない場所での釣りの組み立て、釣れる状況が続かないときの打開策、こういう経験を積み、自分で考えて答えを見つけていくプロセスそのものが楽しく思えて、なおかつそれが血肉になっていくことに喜びを感じるのが、「うまくなる」釣りなのではないか。

仕事では教え子くらい年が離れたフレッシュな「先生」に囲まれているのもありがたいよなあ

今はぱっとしないけど、私はもっとうまくなるし、やがて釣るようになる。そう思って時間をかけて取り組んでいる。そのプロセスを噛みしめる毎回の釣りが最近楽しい。余計なことを考えなくていいし。

象徴的なシーン

西の森にて。

「16尺出せばもっと釣れるのに」

それでも自分は12尺で釣っていた。このポイントで隣がより長い竿を出した場合、12尺で粘る意味があるかどうかをベンチマークしていた。その日はあまり釣れなかった。おそらく棚を高くしたり、長い竿を出せば釣れた。これがわかっただけで、実は先日の例会でも大いに参考になったのだ。例会のように競っている場合はこうすれば釣れるとわかっている方法を知っている方が強いし、それをやればいい。しかしそうでないときは、色々知っておかねばならないことをインプットするために時間を使ったほうがいい。そういうときはガツガツ釣果を求めるでもなく、楽しむ余裕を持ちつつも、情報収集と経験値の蓄積に努めている。

プランを立てる、そしてプランBを考えておくといった戦略に差がつく。もっとデータを集めていけば、徐々に大きく外さなくなっていくはずだ。

それとは別に、もうちょっと釣れるようになるために細かなセッティングやエサ付けのコントロールも色々試しておきたい。これは戦術面の技術向上だ。これだって、イージーに釣れてしまう釣りしかしていないとその場面でしか通用しない、薄っぺらい釣りになってしまう。上級者を観察していると、調整は微細な領域から大胆な変更まで各レンジで行うが、大きく外すことは相対的に少ない。どうやったら状況にあったセッティングになるかを理解しているので、直すことに躊躇がない。私にはまだこの力が弱い。とても弱い。これはこれで限られた時間を丁寧な釣りで克服したい。

はたして、その日の同行者は私がなぜあえて釣れている方に合わせなかったのか、理解できない様子だった。まあそうだろうな。

そんなわけで、ガッチガチに冷え込んでボウズ覚悟の某池に行ってきます。かなり渋いそうなんで、釣れそうで釣れないときにアタリをいかに引き出すか、をテーマに。釣れないかもしれないけど、釣るために手を尽くしてきます。

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